Retired Colourman

何度も朝がやってくる

川 on Google Photos

これは川見てるアドベントカレンダー11日目の記事。

adventar.org

これまで見てきた川をGoogle Photoから取ってくるかと漁っていて気づいたのだが、Google Photoには「川」という分類項目がない。ではどうなっているかと、「湖」と「橋」になっている。

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湖(宇治川

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橋(宇治川

デカければ湖だと思っているのかもしれない。しかし湖は川ではないので流れないということをもっと真剣に考えてほしい。水があればいいというものではない。いや水があればいいという部分もあるが。

気を取り直して画像を貼っていく。

まず宇治川

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これは一年前夜行バスで京都に行ったときの写真。朝5時半とかに京都駅についてそのまますごい勢いで宇治への始発に乗り朝六時ぐらいに見た、はず。非常に美しくて声が出なかった。本当に美しかったのだが、上手に写真に撮れなかった部分もある。

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残りは今年行った時の写真。秋の京都は非常に過ごしやすくて、川の音聞いて30分ぐらいぼんやりしていた記憶がある。宇治川は川幅が広く、シンプルに美しい。鴨川の面白さが都市的な構造に現れるように感じられるのに対して、宇治川は見ているだけで面白い。

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これも宇治川という扱いのはず。流石に宇治駅周辺を外れると大きな川という印象に収まってしまう部分がある。それでもやはり良いが。

次は鴨川。

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やはり何度見ても川幅が素晴らしい。どこまでも街の中の川である。他人と暮らすための程よい断絶をもたらしているように感じる。都市という多くの他人がいて、その他人達との境界のようなものを川は見せてくれていると感じている。東京にも川はあるが、どうしても低いところに流れていることが多く、そこに断絶という感覚はない。

京都には横浜や福岡のような海への開放感はないので、断絶かつ囲まれているという独特の雰囲気があるように感じる。これを上手に説明することができなくて、その言葉を探すためにいつも京都に行くと街を歩き続けてしまう。

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これは桂川桂川桂川の良さがあるとは思うのだが、一方で少々川幅が広すぎる。川岸が生活にそのまま結びつくような力はない。やはり鴨川の川幅は素晴らしいと思う。

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京都には世界のすべてがあったと語っていた人がいるけれど、それを理解できるように個人的に思えるいう写真が撮れた。

これはあまりにも良くて撮ってしまった写真。

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豊洲

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豊洲はシンプルに計画都市としての面が強く、道路の広さや上品すぎる道はどこか人工的な匂いがあるが、運河がそれをある程度和らげている部分はあると思う。

最後に地元。

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桜が垂れているのが結構好きで、春になるといくつか電車のルートを変えてよく歩いてこの川に沿って帰る。それほど特別な川ではなくても、やはり川を見て歩くのは精神にいい。


ちなみにネタバレ(?)だが、「川」と検索すれば川は見れる。

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